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福崎町の少人数制学習塾 大塚塾の教室便り


by otsukajyuku
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関東軍とは一体なんだったのか


関東軍とは一体なんだったのか_e0141029_12313856.gif



今年は戦後70年ということで、テレビでも戦争にまつわる番組が

よく放送されていますね。皆さんもご覧になりましたか。

私も色々と見ていくなかで、今年は関東軍がよく取り上げられているなと感じました。

番組を見た人はわかるかもしれませんが、初めて聞いた人は関東軍と聞くと

東京や横浜などの関東地方にあった軍のことだろうかと想像するかもしれませんね。

しかし、実はそうではありません。関東軍とは中国の北東に位置する、満州にいた軍のことを指します。




関東軍の始まりは、日露戦争までさかのぼります。

1905年、日本は日露戦争でロシアに勝利し、遼東半島を租借地として獲得します。

その遼東半島と南満州鉄道を管理・防衛するために、日本は陸軍を派遣しますが、

遼東半島の先にある関東州に派遣されたので関東軍と呼ばれるようになりました。

1932年には満州事変によって、満州国が建国し、関東軍も満州軍と一緒に満州国の首都で

満州国防衛のために機能しました。




太平洋戦争がはじまり、戦争が激化する中で、満州国は日ソ中立条約があったために

ソ連(ロシア)に攻め込まれることなく、平和でした。

日本の国の政策により開拓団として満州に移民する人々も多く、終戦時には約27万人が日本から

満州へと移っていました。

しかし、終戦間際の8月9日にソ連が日ソ中立条約を破って日本に攻めてくると

終戦してもなお、日本とソ連との戦争は終わらず、多大な犠牲が出ました。




このソ連との戦争で戦いの中心になった関東軍が今年は番組で多く取り上げられていました。

東京大空襲や原爆、沖縄での地上戦など悲惨な出来事を皆さんよく知っていると思いますが、

この満州での悲惨な出来事もぜび、知っていてもらいたいです。




今年は戦後70年という節目の年です。安倍総理も70年講和を出され、なにかと話題になっていますが、

私たちは戦争を実際に経験した方々と直接関わることのできる最後の世代です。

今が平和な世の中だからと言って、戦争に無関心でいるのではなく、積極的に知っていく努力をしてください。

そして、私たちが第二の語り部にならなければいけないように私は思います。




戦争はどの国も加害者的な部分と被害者的な部分を両方持っています。

日本がされたことだけを見るのではなく、日本がしてきたことにも目をそらさず、二面的に見てほしいです。







社会担当 楠田



今年は戦後70年ということで、テレビでも戦争にまつわる番組が

よく放送されていますね。皆さんもご覧になりましたか。

私も色々と見ていくなかで、今年は関東軍がよく取り上げられているなと感じました。

番組を見た人はわかるかもしれませんが、初めて聞いた人は関東軍と聞くと

東京や横浜などの関東地方にあった軍のことだろうかと想像するかもしれませんね。

しかし、実はそうではありません。関東軍とは中国の北東に位置する、満州にいた軍のことを指します。




関東軍の始まりは、日露戦争までさかのぼります。

1905年、日本は日露戦争でロシアに勝利し、遼東半島を租借地として獲得します。

その遼東半島と南満州鉄道を管理・防衛するために、日本は陸軍を派遣しますが、

遼東半島の先にある関東州に派遣されたので関東軍と呼ばれるようになりました。

1932年には満州事変によって、満州国が建国し、関東軍も満州軍と一緒に満州国の首都で

満州国防衛のために機能しました。




太平洋戦争がはじまり、戦争が激化する中で、満州国は日ソ中立条約があったために

ソ連(ロシア)に攻め込まれることなく、平和でした。

日本の国の政策により開拓団として満州に移民する人々も多く、終戦時には約27万人が日本から

満州へと移っていました。

しかし、終戦間際の8月9日にソ連が日ソ中立条約を破って日本に攻めてくると

終戦してもなお、日本とソ連との戦争は終わらず、多大な犠牲が出ました。




このソ連との戦争で戦いの中心になった関東軍が今年は番組で多く取り上げられていました。

東京大空襲や原爆、沖縄での地上戦など悲惨な出来事を皆さんよく知っていると思いますが、

この満州での悲惨な出来事もぜび、知っていてもらいたいです。




今年は戦後70年という節目の年です。安倍総理も70年講和を出され、なにかと話題になっていますが、

私たちは戦争を実際に経験した方々と直接関わることのできる最後の世代です。

今が平和な世の中だからと言って、戦争に無関心でいるのではなく、積極的に知っていく努力をしてください。

そして、私たちが第二の語り部にならなければいけないように私は思います。




戦争はどの国も加害者的な部分と被害者的な部分を両方持っています。

日本がされたことだけを見るのではなく、日本がしてきたことにも目をそらさず、二面的に見てほしいです。







社会担当 楠田
by otsukajyuku | 2015-09-08 12:33 | 講師のブログ